初版2010/10/1
改訂2010/10/6
SC'89報告
小柳義夫(当時、筑波大学)
最近書棚の奥から手書きの古いメモが出てきましたので、20年以上昔のことですが、記録として皆様に提示します。ご笑覧ください。[]内は現在のわたくしのコメントです。
IEEEとACMが主宰する標記の国際会議が、カジノの町RenoのConvention Centerで1989年11月14日(月)から18日(金)まで開かれた。記憶の薄れないうちに印象を報告したい[と言いながら21年経ってしまいました。でもこの頃からオヤナギレポートを書く気でいたんですね]。この会議は、昨年から始まった新しいシリーズで、昨年はディズニーワールドの町Orlandoで開かれた。私はQCDPAXに関する論文が通らなかったためと、筑波大学からの代表団として中国の西安交通大学などに行く予定が重なったため、このときは出席しなかった。来年は、三菱地所の買収で有名なニューヨークのロックフェラーセンタービルを会場として11月12日から16日に開かれる。
サンフランシスコ周辺に大損害をもたらしたロマプリータ地震(10月17日)から1月も経っていなかった。一部のスパンが崩落したSan Francisco-Oakland Bay Bridgeが会期中の18日に開通し、両市の市長が両側から歩いて渡り、橋の中央で何とか言う歌手(Tony Bennett?)が"I left my heart in San Francisco" を歌ったというニュースが流れていた。
このころ盛田昭夫、石原慎太郎共著「NO(ノー)と言える日本―新日米関係の方策」(光文社、1989)がアメリカでも話題になっていた。アメリカのテレビ局のモーニングショーを見ていたら、盛田氏が出演していた。盛田氏曰く、「私はアメリカに留学し多くを学んだ。私はアメリカを尊敬している。」キャスター:「しかし、あなたはこの本でアメリカを批判しているではないか?」これに対する盛田の答えはパンチが効いていた。"To speak frankly is also what I learned in United States."
参加者は2000名ほどで、主催者はもうかっているとのことである。会場のセンターは、晴美の見本市会場の主な建物を合わせたような巨大な建物で、開会式や昼食会の講演が聞きにくかった他は、よく設備されていた。ただし、会期の最終日に州政府が消防法違反で改善命令を出したそうで、悪くすると来年にも閉鎖に追い込まれるかも知れないという。
日本からの出席者は去年より少なく20名余りで、大学関係では京大の津田先生一行、早大の村岡先生一行、村井君らWIDEグループの一行などが記憶に残っている。筑波大からは中澤喜三郎先生、白川友紀先生とわたくしが出席した。ある晩3人で夕食をしたあと、ふらふらとホテルのカジノに入り、スロットマシンにポケットのquarterを一つ入れてガチャン、二つ入れてガチャン、三つ入れでガチャンとやったところで、白川氏が「小柳さん、なにか7が3つ並んでますよ。」という。ジャラジャラとquarter貨が14個出てきた。私は、ここでぴたりと止め、「カジノで賭けた金が5倍になった」とうそぶいたものである。
プログラム委員会のRaul H. Mendez氏(ISR, リクルート・スーパーコンピュータ研究所所長、当時)などのご尽力により、多くの日本からの発表が受理されたことは喜ばしい。言語の障壁により、どこまで日本の研究事情が伝えられたか心配であるが。[今回Proceedingsのプログラムから探すと、10件もある。その後は、Gordon Bell賞関係を除くと毎回日本からは3件ぐらいが普通となっている。]
1) Capability of current supercomputers for the computational fluid dynamics
Fujii, K. Tamura, Y.
Page(s): 71 - 80
2) Supercomputing of circuits simulation (訂正)
Fukui, Y. Yoshida, H. Higono, S.
Page(s): 81 - 85
(どういう訳かこの論文だけ電子版では抜けています)
3) Automatic vectorization of character string manipulation and relational operations in Pascal
Tsuda, T. Kunieda, Y. Atipas, P.
Page(s): 187 - 196
4) QCDPAX-an MIMD array of vector processors for the numerical simulation of quantum chromodynamics
Shirakawa, T. Hoshino, T. Oyanagi, Y. Iwasaki, Y. Yoshie, T.
Page(s): 495 - 504
5) A preceding activation scheme with graph unfolding for the parallel processing system-array
Yamana, H. Hagiwara, T. Kohdate, J. Muraoka, Y.
Page(s): 675 - 684
6) Construction of internet for Japanese academic communities
Murai, J. Kusumoto, H. Yamaguchi, S. Kato, A.
Page(s): 737 - 746
7) High performance file system for supercomputing environment
Nishino, H. Naka, S. Ikumi, K. Leslie, W.
Page(s): 747 - 756
8) A comparison study of automatically vectorizing Fortran compilers
Nobayashi, H. Eoyang, C.
Page(s): 820 - 825
9) Memory conflicts and machine performance
Tang, P. Mendez, R. H.
Page(s): 826 - 831
10) Hardware technology and architecture of the NEC SX-3/SX-X supercomputer system
Watanabe, T. Matsumoto, H. Tannenbaum, P. D.
Page(s): 842 - 846
島田氏(電総研)のデータフロー計算機Sigma-1についての講演はキャンセルされた。
会議は3〜4の並行セッションで行われた。内容は大きくArchitecture, Algorithm, Applicationに分かれている。白川氏は、QCDPAXグループ(私もメンバー)を代表して、"QCDPAX--An MIMD Array of Vector Processors for the Numerical Simulation of Quantum Chromodynamics" という講演を行った。日本からの発表の圧巻はNECの渡辺貞氏のSX-3の発表であった。渡辺氏の講演は大入り満員で熱気にあふれ、氏が質問に対してちょっとでも言いよどむと、「何か隠しているのでは」と会場が興奮に包まれたことを覚えている。あと印象に残っているのはSIMD並列計算機であるMasPar-1の発表であった。CM-1/2が1ビット演算の超並列機であるのに対し、これは4ビットの超並列機であった。MasPar-2まで出荷したが、その後消えてしまった。
企業展示で、Evans and Sutherland社は、この年発表したばかりのES-1を展示していたが、会期中に部門の閉鎖が発表された。2台売れただけであった。私が展示を見ていたら、三浦謙一氏(当時、富士通)がやってきて、「小柳君、いくら見ても無駄だよ。この会社は今日つぶれたんだから。」
翌日からは、展示の社員が会場で職探しをしていたとかいうことである。
開会式の基調講演で、Cray ResearchのCEOであるRollwagen会長(49)は「東西の壁が破られた今、我々は東側にもスーパーコンピュータを売ることができるので前途洋々だ。」と述べたが、筆者は、軍事予算が減ってむしろ売り上げは減るのではと心配した。その後の推移を見ると私の予言の方が当たったようだ。
16日(木)の昼食会のスピーチで、G. P. Smaby という経済アナリストが、「ウォールストリートから見たスーパーコンピュータ」と題して講演を行った。彼によればCrayの株が下がり○[不明]の株が上がっていることからも分かるように、メガクラスのスーパーコンピュータには先がなく、これから伸びるのはエントリーレベルのスパコンである、とのことである。私は、こういう見方は少し近視眼過ぎるように思われる。Cray-1だって、はじめは世界に数台もあれば十分と言われていたし、日本でも大学のスパコンも一つか二つあれば十分と言われてた。そのころ、日本に120台ものスパコンが動いている時代が来ることを誰が予言し得たであろうか。
Smaby氏はこの業界の動向を4つの話題にまとめた。
1) The Dead Supercomputer Society (
http://www.paralogos.com/DeadSuper/) 死んだもしくは活動を終了したスーパーコンピュータの表である。(当時は)20ほどの会社名があった。[現在は数十]DenelcoreやFPSはいいとして、第5世代まで入っていたのでびっくりした[と私のメモに書いてある]。
2) Steve ChenがCrayを飛び出して、Supercomputer Systems (SSI) を作った。
3) Babies born. アメリカでは多くのスーパーコンピュータのベンチャービジネスが生まれている。[80年代には多くの並列処理のベンチャービジネスが生まれた。しかし、90年代にほとんど消滅した。]これに注目したのはさすがSmaby。
4) Shotgun marriage---私はアメリカ政府が日本を脅かしてスパコンを買わせていることかと思ったが、ArdentとStellarの合併のことを言っているようである。[当時shotgun marriageを誤解していたようだ。男が女に銃を突きつけて結婚を迫ることかと思っていたが、これは間違いで、できてしまった男女に、女の父親が男に銃を突きつけて「責任を取れ」ということらしい。]
Center Directors' Round Tableを覗いたら、満員で立ち見まで出ていた。主要なテーマはHPCCプログラムを政府に認めさせようということで、ある経済予測家がもっともらしいグラフを示しながら、「いま○億ドルを投資すれば○年後日本に勝てるが、このままでは永久に日本の後塵を拝することになる。」と日本を仮想敵国として熱っぽく議論していたのが印象的だった。その席にいた日本人は筆者ただ一人で、知人のアメリカ人が私の方を向いてニヤッと笑っていたのを思い出す。
今から思うと、この年の夏にOalridge National LaboratoryでPVM (Parallel Virtual Machine、「貧者のスーパーコンピュータ」と言われた)の第1版が誕生したはずであるが、会議中で話題になったという記憶はない。この頃はまだ一般公開はしていなかった。
生まれて初めてのSCだったので印象は強烈でした。