初稿2008年7月21日
改訂2008年7月23日
教皇庁文化評議会総会報告
小柳義夫
日時 2008年3月6日(木)〜8日(土)
場所 Rome, via della Conciliazione, 5
テーマ 教会と世俗化の挑戦
 
 上記文化評議会に参加しましたので報告いたします。1998年12月に教皇庁文化評議会顧問(consultor)に任命されてから2年毎の3月に総会が開かれてきました。2000年は大聖年に当たり混雑が予想されたので前倒しで1999年11月に開催しました。このほか、地区会議がアジア、アフリカ、アメリカ、ヨーロッパと毎年開催されるので、アジア地区会議は4年に1度開かれます。任期中の会議、およびそこでの役割は以下の通りです。
 
a) 1999年1月 アジア地区会議(バンコック大司教区司牧研修センター)発題
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_doc_15121998_bangkok99_en.html
私の報告:http://olab.is.s.u-tokyo.ac.jp/~oyanagi/reports/PCC9902.html
b) 1999年11月 総会(ローマ)
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_doc_20111999_plenary-assembly_en.html
私の報告:http://olab.is.s.u-tokyo.ac.jp/~oyanagi/reports/PCC9911.html
c) 2002年3月 総会(ローマ)
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_20020313_plenary-assembly_en.html
d) 2002年10月 アジア地区会議(長崎純心大学)分科会座長
e) 2004年3月 総会(ローマ)発題
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_doc_20040308_plenary-assembly_en.html
f) 2006年3月 総会(ローマ)枢機卿会のため日程が直前に1週間延期になり欠席(航空券も用意してあったのに)
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_doc_20060327_plenary-assembly_en.html
g) 2006年11月 アジア地区会議(バリ島、パームビーチホテル)発題
私の報告:http://olab.is.s.u-tokyo.ac.jp/~oyanagi/reports/PCC9902.html
f) 2008年3月6日〜8日 総会(ローマ)。
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/cultr/documents/rc_pc_cultr_doc_20080213_plenary-assembly_en.html
 
上記のとおり2006年の総会以外は出席することができました。
 
1.文化評議会
 教皇庁文化評議会Pontifical Council for Cultureは、教皇庁にある11の評議会の一つで、「福音に開かれた文明を求めて、諸文化との対話を促進する機関」である。現在、議長はジャンフランコ・ラヴァージ大司教(President: Archbishop Gianfranco Ravasi, 18 Oct 1942生まれ65歳)、局長はベルナルド・アルドゥーラ師(Secretary: Rev. Bernard Ardura)、 次長はメルコル・ホセ・サンチェス・デ・トカ・イ・アラメダ師(Undersecretary: Mons. Melchor José Sánchez de Toca y Alameda)である。現議長は2007年9月3日に就任したばかりで、それまではPaul Poupard枢機卿が約19年間務めていた。
 事務局は、これまでトラステベーレ地区というテベレ川の西側の下町にあった。サンタ・マリア・イン・トラステベーレ教会という4世紀にさかのぼる大聖堂の隣にあるバチカンの飛び地で、故濱尾枢機卿が議長を務めていた移住移動者評議会も同じ場所であった。新しい文化評議会の事務局は、バチカンのサンピエトロ広場に通じるコンチリアチオーネ通りの南側のビルの中にある。このビルもバチカンの領土のようで、諸宗教対話評議会の事務局などもある。おそらく、文化評議会はラヴァージ新議長になって事務局を移転したのであろう。下町からバチカン宮殿のおひざ元に進出したことになった。
 文化評議会は、第二バチカン公会議や1974年の福音化に関するシノドスの成果を基に、ヨハネパウロ2世教皇が1982年に設立された(Personal Letter to the Cardinal Secretary of State, 20 May 1982)。さらに、ヨハネパウロ2世教皇は、1993年5月25日付けのMotu Proprio Apostolic Letter "Inde a Pontificatus" により、パウロ6世が1965年に設立したthe Pontifical Council for Dialogue with Non-Believersを文化評議会と統合した。
 文化評議会は、事務局と、メンバーと、顧問からなる。事務局には、役員の他、6人の司祭と1人の信徒がさまざまな地域や領域(科学、カトリック文化センター、芸術、メディア、アカデミー、セクトなど)を担当している。またこの他7人の職員が働いている。
 総会は少なくとも3年に一度開催され(実際はほぼ2年ごと)、文化との対話のために計画を立て、経験を共有し、現代社会の文化状況について検討する。メンバーは枢機卿または司教で、5年の任期で教皇から任命される。現在、メンバーは21名の枢機卿と14名の大司教・司教からなる。
 顧問(consultor)も、教皇から5年任期で任命され、文化や非信仰者との対話についての専門家が23名任命されている。大部分は聖職者(大司教、司教、モンシニョール、司祭)であるが、数名の信徒もいる。私は2期目で今年の終わりまでである。顧問というと偉そうに聞こえるが、実際は専門委員といった感じである。
 総会での公用語はイタリア語、英語、フランス語、スペイン語で、これらの間には同時通訳がついている。これらの言語の利用率は4:3:2:1ぐらいの感じである。高位聖職者はイタリアで勉強した人が多く、イタリア語はぺらぺらであり、これらの言葉は通訳なしでも理解できる人が多い。英語ぐらいしかまともに分からない私は、通訳を聞いていても議論について行くのにかなり苦労した。従って以下の報告も私が聞き取った限りのものであり、間違いも多いと思う。全体の雰囲気は感じ取っていただけると思う。
 なお、総会の出席に際し、メンバーには旅費・滞在費が支給されるが、私のような顧問は自腹である。アジア地区会議の場合は旅費が支給された。今回は、貯めたマイルで航空チケットを用意し、宿泊はサンピエトロ広場のすぐ近くのMaria Bambinaという女子修道院の宿泊施設を事務局から紹介してもらった。1泊55ユーロだが、部屋も広く、立派なバスタブもあり、インターネットも使えて快適であった。
 
2.出席者
a) メンバー
(1) Cardinal Francis Arinze 典礼秘跡省長官
(2) Cardinal Ivan Dias 福音宣教省長官
(3) Cardinal Cláudio Hummes 聖職者省長官
(4) Cardinal Walter Kasper キリスト教一致推進評議会議長
(5) Cardinal Jean-Louis Tauran 諸宗教対話評議会議長
(6) Cardinal Franc Rodé 奉献・使徒的生活会省長官
(以上、バチカンの省庁の長)
(7) Cardinal Jozef Glempワルシャワ名誉大司教(ポーランド)
(8) Cardinal Lubomyr Husar Kyiv-Halyc {Kiev}大司教(ウクライナ)
(9) Cardinal Francesco Marchisano, President of the Labour Office of the Apostolic See
(10) Cardinal Cormac Murphy-O'Connor ウェストミンスター大司教(英国)
(11) Cardinal Wildrid Fox Napier, O.F.M. Durban大司教(南アフリカ)
(12) Cardinal Polycarp Pengoダルエスサラーム大司教(タンザニア)
(13) Cardinal José da Cruz Policarpo リスボン総大司教(ポルトガル)
(以上枢機卿)
(14) Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア)
(15) Joseph Doré 司教 ストラスブール名誉大司教(フランス)
(16) Fabio Duque Jaramillo O.F.M.司教 アルメニア司教(コロンビア)
(17) Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)member of the International Theological Commission,
(18) Willisam Benedict Friend司教 シュレヴポート名誉司教(アメリカ、ルイジアナ州)
(19) Donal Brendan Murray司教 リメリック司教(アイルランド)
(20) Guy-Paul Noujaim司教 アンチオキア補佐司教(レバノン、マロン典礼)
(21) Anselme Titanma Sanon司教 バンフォラ司教(ブルキマ・ファッソ)
(22) Joseph Vu Duy Thong司教 ホーチミン市補佐司教(ベトナム)
(23) Józef Miroslaw ?ycinski司教 ルブリン大司教(ポーランド)
(24) Abbot Dom Michael John Zielinski, O.S.B., Vice President, the Pontifical Commission for the Cultural Heritage of the Church
 
 バチカンの省庁の長官や議長が6人も参加した総会は、私の経験では初めてである。
 
b) 顧問
(1) Mons. Lluis Clavell(ペルー)
(2) Mons. Carlog Manuel de Cespedes(キューバ)
(3) Mons. Peter D. Fleetwood (イギリス)以前の事務局員
(4) Prof. Alfredo García Quesada
(5) Prof. Gaspare Mura, Director of Istituto della non credenza della religione e delle culture, Italy
(6) Ms. Manuelita Núñes C. (パナマ)
(7) Prof. Yoshio Oyanagi(日本)
(8) Fr. John Mansford Prior, S.V.D., Lecturer in Tinggi Seminary, Indonesia (インドネシアで働くイギリス人の宣教師)
(9) Fr. Marko Ivan Rupnik
(10) Prof. Nurukyor Claude Somda
(11) Mr. Léon Zeches
 
 私と同様東アジアからの顧問であるMs. Annie Lam(林純慧, 香港、UCAN)は、アキレス腱の怪我の療養中で来られなかった。
 
3.テーマ
 今回のテーマは、"The Church and the Challenge of Secularisation" (どういう訳か英国式の綴り)であった。1年前には、メンバー、顧問、各国司教団に質問状が出され、それを集約したInstrumentum Laboris (討議要綱)が用意された。「世俗化」は近代社会の大きな方向性であり、第二バチカン公会議、とくに「現代世界憲章」の主要テーマであった。私の世代では、『世俗都市 : 神学的展望における世俗化と都市化』(H.コックス著 ; 塩月賢太郎訳、新教出版社1967)を思い出す。コックスによれば、「世俗化」は近代社会の必然であり、キリスト者もこれを積極的に受け入れる必要がある。問題は「世俗主義Secularism」、すなわち世俗的世界だけが唯一の現実であるという考え方であり、世俗化ではなく、世俗主義を批判すべきである、ということであった。
 Instrumentum Laborisでも、「世俗化が世俗主義に変質するとき、深刻な文化的・精神的危機が起こる。その印の一つは、人格への尊敬への欠如であり、人間論的なニヒリズムである。」というTowards a Pastoral Approach to Culture, n. 23の言葉が引用されている。しかし、全体としては、世俗化も含めて教会の危機であり、ヨーロッパで教会が衰退しているのは世俗化のためである、という論調も見え隠れしている。
 
4.開会式
 3月6日(木曜日)9時から総会が開かれた。恒例により、ラテン語の朝の祈り(Laudes)とVeni Creatorの歌で始まった。Veni Creatorはともかく、ラテン語の詩編は全くついて行けない。
 
a) Welcoming and opening session (9:20)
 まずラヴァージ議長が開会の演説を行った。自分は、これまでどう運営されてきたかは知らないが、と前置きして、パウロ書簡から「弱さ」「恐れ」「気後れ」の3つの言葉で今の気持ちを表現した。箴言の26章と27章を引用。私は教会の文化遺産に関する委員会や聖物の考古学に関する委員会の責任も担っている。私はまだ65歳で、教皇庁では若い。文化評議会の課題を5つにまとめたい。
(1) 信仰と科学:来年、教皇庁立大学の協力の元に大きな会議(STOQ)を行いたい。科学、神学、哲学という3つの要素が重要である。
(2) 大陸の地平:グローバリゼーションで統一化されると同時に、アイデンティティを確立したいという欲求も高まる。アジア、アフリカについてはstudy groupを作りたい。
(3) 人間論的視点:二人のノーベル経済学賞受賞者(アマルティア・センとxx)にならって、社会経済的な問題を考えたい。
(4) 言語、エピステモロジー:コミュニケーションの方法論。教会は明快な言葉を持っている(ラテン語のこと?神学のこと?)が、これは翻訳不可能である。
(5) 無神論:文化評議会は、パウロ6世の設立した非信仰者評議会と合併した。劇的な無神論は多くはないが、無関心の人は多い。宗教は不要だが、スピリチュアルなものは必要という人も多い。
 ここ数日間、ハーバード大学出版会から出た大著"Secular Age" (Charles Taylor)を読んでいる。[Charles Taylorは2007年のTempleton賞受賞者]この本の中で著者は3つの問題を挙げている。
(1) secularisationとsecularismの区別
(2) 信仰の生きる場所。世俗的な世界でも神は死んでいない。
(3) 真の神とは
 最後に、箴言の13章とシラ書21章を引用した。
 
b) Report of activities: Most Rev Bernard Ardura, Secretary (9:50)
 前回の総会以来の2年間の活動報告
 
c) Presentation of the Instrumentum Laboris: Rev. Fr. Laurent Mazas, Rev. Msgr. Franco Perazzolo
 Instrumentum Laborisの説明
 
5.第1セッション(2008年3月6日、10時40分〜)
「世俗化:神学的、文化的、司牧的チャレンジ」
1st session: Secularisation: theological, cultural and pastoral challenges
 
a) まず口火を切ったのが奉献・使徒的生活会省長官のCardinal Franc Rodé であった(予定になし)。かれは、「教会内部の世俗化」とくに「修道生活における世俗化」について問題提起を行った。
 問題は内部的な世俗化である。とくに、オーストラリア、アメリカ、カナダなどでは教会生活のイメージが変わってしまっている。可視性(visibility)が重要である。西欧やアメリカ・カナダのシスターは私服だし、教区司祭もローマンカラーを付けない。修道会の会議で、もはや修道生活には希望がないのでは、ということが問題になった。修道会が世俗化してしまっている。修道会は伝統的な生活に戻るべきである。司祭や修道者は目に見える形で現存しなければならない。また他の特徴として、共同体ではなく、少数のグループに分かれてしまっている。規律がなくなってしまっている。第二バチカン公会議の修道生活に関する教令では、修道会を世俗化せよとは言っていない。修道者は教会の中で重要な役割を担っている。しかし、病院などではよく働いているが、教会の中ではプレゼンスが欠けている。「従順」の徳など議論されない。福音的急進主義が生まれ、新しい会が出来ている(何のことか?)。
 [彼の議論は、「公会議前のような形に戻れば世俗化に対抗できる」という風に聞こえ、ちょっと違うんじゃないかな、という印象でした。役目柄気になるのでしょうが。]
 
b) ここで諸宗教対話評議会議長のCardinal Jean-Louis Tauranが正装して現れた。諸宗教対話評議会の事務局は同じ建物の1階上にある。ニュースによると、3月4〜5日、英、ヨルダン、トルコなどのイスラム教指導者ら138人で構成された代表団がバチカンで教皇庁諸宗教対話評議会と会談し、複数のイスラム教指導者側代表が教皇ベネディクト十六世と会見したとのことで、その仕事を終えられて来られたのであろう。そのあと、また消えてしまった。
 
c) Constructing the City of God at the Heart of Secular Society, His Excellency Rt. Rev. Joseph Doré, Emeritus Archbishop of Strasbourg(フランス)
 続いて、ストラスブール名誉大司教のDoré大司教が発題を行った。フランス語のレジュメが配られたが、手書きでよく読めない。
I 世俗化の諸領域について
 宗教なしの世界が増大し、宗教に触れたことのない若者が増えている。宗教的相対主義が蔓延し、宗教的なもの抜きで世界が説明されている。世の中には、宗教的なもの、聖なるものへの敵意が満ちている。
II 宗教性/信仰の場について
 超越や絶対に対する感覚が弱っている。内面性が喪失している。学校教育でも宗教は課外活動になってしまった。しかし新しい可能性が開けている。フランスでは教会のプレゼンスが増えている。正義、戦争、平和の問題にカトリック教会が何を言うかに注目が集まっている。マザーテレサやピエール神父やヨハネパウロ二世などが注目されている。20年前には考えられなかった。これは新しいチャンスだ。
 プロテスタント、ユダヤ教、イスラームの重要性が増している。プロテスタントでは、ルーテルやカルバンや福音派が、アジアではチベット仏教が盛んになっている。イスラームでは、宗教性が社会的な次元に影響を与えている。
III 神学的考察
 「無からの創造」と人間への委託。救済的受肉。イエスの真の人間性は受け入れがたいものである。最後に終末的完成。
IV 司牧的指針(結論)
 神の恵みの首位性、人間の同意の必要性、
 
d) 討論(12:20〜)[理解できた所だけ。以下同様]
○Józef Miroslaw ?ycinski司教 ルブリン大司教(ポーランド)
 Secularisationは西欧もしくはプロテスタント文化の現象だ。モスクワでは数多くの正教会があり、復活祭には多くの人が教会に来ている。悲観的ではない。「神の死」は「世俗化の死」だ。我々はpost-humanism societyに住んでいる。
○Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)
 Secularisationには複雑性がある。宗教は見えなくなっているが、要求がないわけではない。教会との対話を求めているので、教会も世俗社会との対話を進める必要がある。単純化を避けよ。教会の基本的な態度が問題。
○Cardinal Franc Rodé 奉献・使徒的生活会省長官
 フランスの現状について述べたい。フランスには、プロテスタント、カトリック、正教がある。プロテスタントは、世俗化について危険視せず、最初の努力を行った。正教は非常に反カトリック的である。カトリックは聖職者主義的であるが、正教は反聖職者主義的ではない。ただし、正教の国のマスメディアは反聖職者主義的である。
○Anselme Titanma Sanon司教 バンフォラ司教(ブルキマ・ファッソ)
 アフリカにおいて世俗化は文化的挑戦である。フランスをはじめとする西欧は地域に根ざしていることが特徴である。私の母国では、文化の次元では独自の動きをしている。アフリカの一部において、現代性は聖なるものや伝統的価値がなくなり、人生の意味がなくなることを意味する。
 
13.00:  Lunch
 昼食は、コンチリアチオーネ通りの反対側のDomus Romana Sacerdotalisという司祭専用の宿舎の食堂で食べた。もちろん、赤白のワインがたっぷりと出された。よくこれで午後の会議が出来ると思うが。
 
6.第2セッション(2008年3月6日15時〜)
「教会と、市民社会の世俗化」
2nd Session: The Church and secularisation of civil society
 
a) Religious experience and dimension in the process of reconciliation and peace in Africa, His Eminence Cardinal Wilfrid Fox Napier O.F.M., Archbishop of Durban(南アフリカ)
 本人の都合で、第7セッションに予定されていたネイピア枢機卿の講演がここで行われた。彼はアフリカのコンテキストを強調した。
 1976年、アパルトヘイト政策を敷く南アフリカ政府は、白人支配の象徴である「アフリカーンス語」の授業を学校に導入することを決定したが、黒人たちは憤慨し学生反乱が起こった。このとき、教会も態度を明確にすることを求められた。その後1980年中頃まで政府が強硬な態度をとり絶望的であったが、その頃から反体制運動が高まり、経済制裁を受けた。1990年代になってアパルトヘイトが廃止された。1994年にネルソン・マンデラが大統領に就任した。
 司教団は、1976年の反乱に対し、社会正義の立場から教会内での差別をやめた。1997年(?)には、各教区で地下の人々も含めて会議を開いた。互いに話をしないと何も改善されないし、社会へのメッセージも出ない。教会はいろいろな危機に際して、証し(testimony)を示さなくてはならない。
 
b) Facing the Challenge of a Crisis of Faith towards the Church, His Excellency the Most Rev. Donal Brendan Murray, Bishop of Limerick(アイルランド)
 アイルランドでは世俗化が進んでいる。John Walters (?)の本によれば、教会は禁止と断罪のみを強調したので道徳が基盤を失っている。信仰の十全性(fullness)が教えられていない。教会はキリスト教を伝えることに失敗した。カトリック教会は霊的な力を失った。教会には信仰の危機が迫っている。
 教会が権力としか捉えられず、霊性から切り離されてしまっている。教会や信仰共同体は制度としか見られず、多くの人は関係ないと思っている。宗教が現実だ、と誰も教えてくれない。「神はpersonalで愛なのだ」ということが忘れられている。キリスト教の文化がなくなってしまった。当然、召命も減少し、司教たちは悩んでいる。
[大変悲観的な講演でした。確かに、かつてカトリック国を誇り、日曜日のミサの出席率が90%近いという国は、工業化の進展とともに全く変ってしまったようです。でも、だから世俗化は悪い、で済むでしょうか。]
 
c) What kind of Democracy leads to Secularism? His Eminence Cardinal Francis George, Archbishop of Chicago(アメリカ)
 ジョージ枢機卿は出席できなかったのでレポートが代読された。
 世俗化には3つの面がある。
 i) 哲学的な世俗化
 ii) 政治制度としての世俗化
 iii) 新しい宗教としての民主主義
 2番目の点について、宗教の自由や政教分離という建前から、宗教的なものはバレンタイン・カードまで禁止されている。まるで旧ソ連みたいである。
 
d) 討論(15時30分〜)
○Joseph Vu Duy Thong司教 ホーチミン市補佐司教(ベトナム)
 午前と午後の発表を合わせて考えると、教会の責任が示される。わが国のような共産国では、カトリックは国家の反逆者と見なされる。これが、わが国での世俗化である。
○Cardinal Cormac Murphy-O'Connor ウェストミンスター大司教(英国)
 世俗化された社会で、教会のチャレンジをどう伝えるのか。ジョージ枢機卿はこう言っている。教会は民主主義でも、独裁でもない。教会は神秘である。
○?
 歴史的にキリスト教はガリレオを断罪したことは事実である。アメリカはキリスト教の上に作った国なのに、どうしてそうなってしまうのか。抵抗や断罪でない教会をどう作るか。
○Murry
 宗教は、かつて慰めであった。
○Ms. Manuelita Núñes C.(パナマ) 
 女性の立場から発言したい。私は信徒の女性である。私はNapier大司教の述べた歴史を共有している。イエスは人を、女性をどう見たか、カテキズムは多くを語る必要がある。
 
16.00:  Coffee Break
7.第3セッション(2008年3月6日16時30分〜)
「伝統的社会の世俗化」
3rd Session: The Secularisation of Traditional Societies
 
a) A People of Missionaries caught up with Secularisation, His Eminence Cardinal José da Cruz Policarpo, Patriarch of Lisbon(ポルトガル)
 宣教の問題を考えたい。世俗主義(secularism)は、宗教は不要だという表面的な確信である。元来西欧はキリスト教に裏付けられた文化である。New Ageに挑戦を受けているのであって、Middle Ageに挑戦を受けている訳ではない。Instrumentum Laborisの前半には「希望の徴」が欠如している。
 ポルトガルでは若い信徒をポルトガル語の通じるアフリカ諸国に送り出し、数ヶ月から1年働くプロジェクトを行っている。この経験から召命も生まれている。希望はある。汚れた水でも泳ぐことは出来る。
 
b) African Cultures and the Challenge of Migration: a concern for the Church, His Excellency the Most Rev. Anselme Titianma Sanon, Archbishop of Bobo-Dioulasso(ブルキマ・ファッソ)
 21世紀はアフリカの世紀と言われている。わが国は5カ国に囲まれ、多くの人が移住してくる。各人が自分の神を連れてくる。何の準備もできていない。移民にもいろんな側面がある。宗教の出会い、言語の違い、など。
 
c) What Pastoral Priorities for the Church in Traditional Asia?, His Eminence Cardinal Ivan Dias, Prefect of the Congregation for the Evangelisation of Peoples
 アジアには世界の2/3の人口がいる。若い文化、若い宗教にあふれていてアジアの土壌に根付いている。ヨガとか瞑想とかはライフ・スタイルになっている。アジアはモザイクだ。
 一方、New Ageや神秘宗教のような疑似宗教も盛ん。それらはアジアの教会へのチャレンジになっている。何が第一の優先課題か、世俗主義よりもインカルチュレーションの方が問題。Ecclesia in Asia では多くのページをこの問題に割いている。evangelisation とinculturationは相互に関連している。しかし、福音と文化はしばしば衝突する。バチカン第二公会議は、他の宗教の中にも神の働きがあるとのべて諸宗教対話が始まった。対話は押しつけではない。
 結論として、第3千年期はアジアの福音化が課題である。
 
d) Discussion
○Cardinal José da Cruz Policarpo リスボン総大司教(ポルトガル)
 Dias枢機卿へのコメント。あまりに簡単化してはいけない。世俗化を文化として受け入れると世俗主義になる。司牧者として必要なのは、文化内対話である。イスラムとの対話は不可能。
○Cardinal Francis Arinze 典礼秘跡省長官
 アフリカにおいては孤立しないことが重要である。ある司教は、典礼における文化適応を許さない。司教協議会は専門委員会を作って対応すべきである。
○Józef Miroslaw ?ycinski司教 ルブリン大司教(ポーランド)
 Policarpo枢機卿の指摘は重要である。世俗化は文化的必然ではない。チェコスロバキアは共産政権下で50年間洗脳されてきた。チェコとスロバキアに分かれて、スロバキアはカトリックも多く召命も多いが、チェコはプロテスタントが多く教会は危機に瀕している。
○Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア)
 パウロ6世のEcclesiam Suamでは、Colloquium Salutisが強調されている。「救い」が忘れられていることが問題。救いとは何か?何からの救いか?
○Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)
 Dias枢機卿への質問。解釈学的問題だ。16年前にインドのPuneでの議論を思い出す。インドやアジアの文化の中で、イエスに対する躓きは何か。どうしたら福音を語れるのか。
○Dias
 当時の神学者はそんな感じだった。今は司教たちが加わっている。問題は「文化を福音化する」ことである。例えば女性蔑視の文化とか。
○Forte
 では何が?
○Dias
 15年掛かった。
○Cardinal Cormac Murphy-O'Connor ウェストミンスター大司教(英国)
 Anglican comprehensivenessでは救いとは......
○Coleridge
 私の国では人々はその意味に苦しんでいる。Instrumentum Laborisの中で、文化が大きく扱われすぎている。
 
18.00:  Vespers(夕の祈り)で終了。
 
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Friday 7 march 2008
 
09.00:  Lauds(朝の祈り)
 
8.第4セッション(2008年3月7日9時15分〜)
「世俗化と、新しい形の宗教性」
4th Session: Secularisation and new forms of religiosity
 
a) The Challenge of Sects and Religious of Indigenous Inspiration: the urgency of a renewed proclamation of the Gospel, His Eminence Cardinal Rodolfo Quezada Toruño, Archbishop of Guatemala(グァテマラ)
 本人は来られなかったので代読(スペイン語)
 1) ラテンアメリカでは物質文明の失敗が二つの影響を与えている。なぜラテンアメリカでセクトが起こっているかというと、新しい歴史認識がある。セクトは社会的な問題というより、個人的な問題である。
 2) セクトは人生に約束を示し、歴史を説明する。「天国に行くか地獄に行くか」というような考えが無効(annulment)になっている。カトリック教会は信徒の養成に熱心でなかった。セクトは、日曜学校というやり方をまねている。「信教の自由」が、教会選びの自由と考えられている。カトリック教会もセクトも同格だという考え。
 新しい宗教は、土着の宗教(コロンブス以前)に起源を持ち、グァテマラでは強い。53の宗派があり、古代の習慣を復活し、歴史を説明する。カトリック教会の歴史(レスカサスの話など)は無視する。これはネオ・パガニズムだ。
 
b) The Resurgence of the Irrational in Western Culture: a challenge for the new evangelization, His Excellency Rt. Rev. Bruno Forte, Archbishop of Chieti-Vasto(イタリア、アドリア海側でローマの東に当たる)
 5ページのプリントが配られた。イタリア語なのでよく分からないが、なかなかの神学者らしく、いろいろ論じている(らしい)。
 近代の合理主義、啓蒙主義のなかで人間は自分の主人になった。観念主義が革命イデオロギーに転じ、ニヒリズムが生じた。
 ポストモダンの時代には、非合理主義が勃興し、真理への情熱が失われた。サルトルの「存在と無」が代表的。
 今や具体性への帰還、という現象が起こっている。レヴィナスは究極の再発見といっている。これは倫理性の再発見でもある。
 
 c) Are the new forms of religiosity an indication of post-secularisation? His Excellency Rt. Rev. Mark Benedict Coleridge, Archbishop of Canberra(オーストラリア)
 脱世俗化の時代だ。世俗化は宗教を個人のものにしようとする圧力であり、若者に強く働いている。WYDに若者は多く参加しようとしているが、理解していない。十字架の行列が連邦議会を通ろうとしたが、政治家の中には反対するものがいた。
 第二バチカン公会議ののち、多くの信者は砂漠や真空を感じている。カリスマ的な冷静、大衆信心、神の憐れみ、御心への信心、マリアへの信心が盛んになった。公会議後、世俗化への反動が起こり、全人格の重要性が叫ばれている。カトリック的な宗教性の経験、大衆信心、キリスト教のケリュグマが重要。
 d) Discussion
○Joseph Doré 司教 ストラスブール名誉大司教(フランス)
 パーソナルな次元をどう見いだすか。
○Cardinal Cláudio Hummes 聖職者省長官
 ラテンアメリカのセクトは大問題だ。脱世俗化をどうインカルチュレートするかが問題。何をあがなうのか?
○Mons. Lluis Clavell
○Prof. Alfredo García Quesada(ペルー、リマ大学)
 ラテンアメリカのセクトについて考えたい。80%がカトリックと言われているが、教会から見ればたった10%〜20%が実行信者である。カトリックの教えは有効になってない。飢えていない人にパンを与えてもしょうがない。脱世俗化時代に、放蕩息子をどうしたら父の家に帰らせることが出来るのか。
○Mons. Carlog Manuel de Cespedes(キューバ)
 キューバでは不思議なことが起こっている。問題はキューバ人が信仰しないことではなく、安易に信じてしまうことである。宗教のプレゼンスがある一方、正統的なマルクス主義者も存在している。30年前には考えられなかった。セクトは東の山岳地帯では増えている。アフリカの人々が増えて、アフリカの伝統的宗教が増えている。一種の混淆宗教だ。ムスリムも増えている。またインドに起源を持つ宗教も、テレビで盛んに宣伝されている。
○Cardinal José da Cruz Policarpo リスボン総大司教(ポルトガル)
 ラテンアメリカのセクトがヨーロッパにもやってくる。国際政治を利用している。
○Toruño(事務局?)
 グローバリゼーションとセクトは関係している。コロンビアの女性がヨーロッパでカトリックを捨ててブラジルのセクトに入った。「私はここで答を見付けた」という。そのセクトは、科学も技術もバイオサイエンスもすべてを説明する。しかし、「私は誰でどこに行くのか」といったパーソナルな問いの答はない。
○Mons. Peter D. Fleetwood (イギリス)(イタリア語で)
 その裏には、カトリック信者の間にカトリック教会への敵意がある。聖書への無知がある。「知識は危険」[どういうコンテキストか不明]
○Willisam Benedict Friend司教 シュレヴポート名誉司教(アメリカ)
 私は福音派のプロテスタントが多数の教区(ルイジアナ)で司教を勤めた。プロテスタントは改宗させることを要求する。これはすばらしいことだ。カトリックの説教と比較すると、カトリックはアカデミックだがプロテスタントは証しを中心としている。それと彼らにはホスピタリティーがある。カトリックは教皇を中心とする世界教会に重点がある。
○Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)
 (セクトは)40年前に流入してきた。カトリック教会のあり方は多様で、ホーム(?)に依存する。
 
11:05〜11:25:  Coffee Break
9.第5セッション(2008年3月7日11:25〜)
「神なき社会から、人間なき社会へ」
5th session: From a society without Godh to a society without man
 
a) The Concerns of a Christian Humanism in a Society deprived of Transcendence, His Eminence Cardinal Lubomyr Husar, Major Archbishop of Kyiv-Haly?(ウクライナ典礼、目が御不自由らしい)
 世俗化という病気の原因について考えたい。東方教会はここに2人(私とアンチオキア教会のNoujaim司教)しかいない。ロシア正教会が文化や科学とどう対応しているかが問題。昨日、[文化評議会の活動報告の中で]モスクワで温かい歓迎を受けたという話があった。[以後代読]ボルシェビキは「新しい人間」を作ろうとした。それは、
 1) 科学的方法で高い専門性を持つ
 2) 人を神から離す
 3) それを宗教的方法で実行する。
老人にはレーニンは神だが、若者はレーニンを知らない。
 
b) New Ways for a Dialogue between the Church and the Sciences, His Excellency Rt. Rev. Józef Miros?aw ?yci?ski, Archbishop of Lublin(ポーランド)(イタリア語で)。彼はSTOQ (Science, Theology and the Ontological Quest) の中心人物。
 自然科学からのウィルスが人間の文化に入った。それに対する反動は余りにも極端で、科学を排斥し、反進化論に走った。これは単純すぎた。
 進化論やガリレオへの断罪が、宗教への批判となり、科学の正当な自治が認識された。共産主義は現在キリスト教に協力的である。
 相対主義は、一種の反知性主義である。科学には倫理的な判断が必要。クローニングとか体外受精とか、遺伝子操作とか。バイオエシックスは現在、疑似科学になっている。人間論が必要。
 相対主義の独裁とどう戦うか。科学と信仰の対話は、STOQの目的である。
 
c) What Language should the Church employ to speak to the Heart of man devoid of religious references? His Eminence Cardinal Cormac Murphy-O'Connor, Archbishop of Westminster(イギリス)(イタリア語で)
 よい知らせを伝える5つの言語がある。
 1) Wilnessed[?]: 神と愛
 2) Solidarity: 先日ジンバブエを訪れ、HIVなどに関するカトリック共同体の働きを見てきた。
 3) loving parents: シャルルドフーコーの共同体。
 4) symbolic speech to culture: ブレア前首相がカトリック教会に迎え入れられた。
 5) comtemplation: silent language どう祈るかを考えるべき。
 先日、ロンドンで、ドーキンスなど3人の無神論者と3人の有神論者が集まって討論会が開かれ2000人が聞いた。ジャーナリストによると、無神論が討論では勝ったが、victory of humilityもある。
 西洋文化において、世俗的社会は断罪すべきでない。そこにはチャンスがある。世俗社会の文句を言ってはいけない。キリスト教にとって、悪いものではない。
 
d) Discussion
○Joseph Doré 司教 ストラスブール名誉大司教(フランス)
 theoretical, technological, ethicalの3つのレベルを区別すべき。domain of truthについてself-limitation of science があるべき。
○?yci?ski(今度は英語で)
 技術的に可能ということと、実際にやっていいかということは別。倫理の問題。そう考えない人もいる。残念ながら。
○Cardinal José da Cruz Policarpo リスボン総大司教(ポルトガル)
 科学と宗教について、我々は科学を断罪している。神学的な議論をするにはエピステモロジーを理解しなくてはならない。デカルト、探求の精神により、科学と信仰を直面させた。huminity of science --- openness to the unknown。open horizenがある。他方、純粋科学は経済に支配されている。人を助けるのが科学の目的のはずなのに。
○Donal Brendan Murray司教 リメリック司教(アイルランド)
 self-suffficiency , fragility of our own being
○Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア)
 科学者の実際的な論理は決して合理主義ではない。むしろこの病気が治せれば儲かる、といったメンタリティーだ。共通の基盤がない。共通の言語はあるが同じことを言っていない。[カトリック教会なんて関係がない。」という考え方。
○Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)
 International Theological Commissionでは自然法について議論している。
○Husar
 「教会はしゃべりすぎである」
○議長
 だれか話したい人はいますか?(一同笑い)
○議長
 沈黙は必要である。
 
13.00:  Lunch(昨日と同じ。ただし四旬節中の金曜日なので魚料理)
10.第6セッション(2008年3月7日15時〜)
「文化の福音化に関する司牧経験と展望」
6th session: Pastoral experiences and perspectives for the evangelization of culture
 
a) The Church in Africa at the service of reconciliation, justice and peace, in the perspective of the IInd Special Assembly of the Synod of Bishops for Africa, His Eminence Cardinal Polycarp Pengo, Archbishop of Dar-es-Salaam(タンザニア)
 アフリカの視点では、西欧の植民地化と世俗化は結びついている。世俗化(secularisation)のsaeculumは創造されたという意味である[本当か?]。第2回アフリカ特別シノドスでは、「和解、正義、平和」ということが強調された。部族紛争が国際的な衝突を巻き起こす。魔法への恐れから、部族紛争の和解は不可能。宣教により少しは改善された。教会は平和を宣べ伝える。
 独立によって、若いアフリカの国々は、無神論や共産主義を学んだ。[カトリック]学校はカテケシスしか教えなかった。
 結論として何を学ぶか、"Bring back God to Africa"
 
b) Which pastoral perspectives for the evangelization of culture in Europe?, Rev. Msgr. Peter Fleetwood, Consultor of the Pontifical Council for Culture(イギリス)
 ヨーロッパの若者はある種の神の現存のセンスを持っている。一種の宗教体験である。西欧から東欧に行くに従ってカトリックから正教会に変わり、建物も違うし、音も違う。東欧には静寂、聖なる場所の感覚がある。ヨーロッパには仏教も進出している。イギリスには仏教センターが200カ所もある。ポーランド、チェコ、ロシアなど他の国も同様。改宗ではなく、ヨガや、太極拳などの形でも入っている。寛容などと言っていると危ない。キリスト教の豊かさを再発見する必要がある。
 
c) The formation of priests and the consecrated amidst atheism and secularisation, His Excellency Rt. Rev. Joseph Vu Duy Thong, Auxiliary Bishop of Thành-Phô Hô Chí Minh(ベトナム)
 無神論と世俗化に対抗して、司祭の養成が大切。世俗化は一種のメンタリティーになっている。
 ヨハネ・パウロ2世は、4本の柱を挙げた。
 1) human: 人格
 2) spiritual: もっとも重要
 3) intellectual: キリスト教と教会への忠誠
 4) pastoral:
世俗的なメンタリティーを持っている将来の司祭のための道具、大衆信心、信心業、聖体礼拝など。
 ホーチーミン市では、女子修道会の病院が接収されたが、サービスが低下して文句が出て、結局修道者がまた送られて、サービスが戻った。首相がそれを賞賛した。
d) Discussion
○Cardinal Walter Kasper キリスト教一致推進評議会議長(イタリア語で)
 世俗化とは、教会と国家との分離である。これから、宗教は脇に置いてということになり、宗教は私的なものとされ、周辺化された。東方教会でも世俗化の攻撃に遭っている。エキュメニズムは世俗化への抵抗でもある。
○Prof. Nurukyor Claude Somda(アフリカ)
 アフリカの話
○Cardinal Francis Arinze 典礼秘跡省長官
 汚職の問題が大きい。石油の輸出でも、民族がグループ利己主義に陥っている。Compendiun of Social Teachings(教会の社会教説をまとめたもの)は重要である。
 典礼は文化的出来事であり重要である。西欧ではしゃべりすぎる。香部屋でこれからミサだというのに「どちらからおいでですか」などと雑談している。
○Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア)
 文化の福音化とは何か。counter-cultureを作ることである。
 
16.10:  Coffee Break
 
11.第7セッション(2008年3月7日16時40分〜)
「より人間的な世界を建設するための信仰の強さ」
17th Session: The strength of the faith to construct a more human world
 
a) A Church witnessing faith and charity in a Muslim country Rev. Fr. John M. Prior, Consultor of the Pontifical Council for Culture(インドネシアの宣教師、イギリス人)
 ムスリムの国で35年間働いている。インドネシアはイスラームが2.4億で最大のムスリム国である。キリスト者は9%で、非常に多元的な社会である。ムスリムは12世紀に平和的に入ってきた。
 イスラムとキリスト教は、19世紀に対話を試みた。グローバリゼーションとともに寛容の精神が弱くなった。スハルト政権(1966−88)は堕落し、軍隊が教会を焼いたりした。
 二つの逆の傾向が見られる。一つは、世俗化の方向で、もう一つはethno-religious subcultureである。その中で連帯が築けず、キリスト者はゲットーに成ってしまう危険がある。
 信仰と愛の証しは、基本共同体が非常に重要である。消費主義の流れに乗らない。
 イスラムとの関係ではreciprocityを言わない。これは福音の価値ではない。
 
b) The Evangelization of culture at the service of reconciliation and peace, His Excellency Rt. Rev. Guy-Paul Noujaim, Maronite Patriarchal Vicar of Sarba(レバノン、マロン典礼)
 ヒズボラは和解を受け入れない。殉教者を称揚している。イエスはprovokerであった。パウロにおいて女性の地位は低い。ユダヤ教もそうだ。
 キリスト教とヒズボラの学生で、2日半の討論会をやった。
 
c) Discussion
○Prof. Alfredo García Quesada
 ラテンアメリカの現状について。
○小柳義夫(もちろん英語で)
 皆さん世俗化を目の敵にしていらっしゃいますが、日本のようなキリスト者がマイノリティーの国ではむしろ積極的な意味を持っています。第2次大戦まで、日本人はキリスト者も神社に参拝することを強制されました。しかし、戦後、世俗化のおかげで、つまり教会と国家との分離によってそういうことはなくなりました。問題は世俗化そのものではなく、そこから世俗的な次元だけが唯一の現実だと思うこと、つまり世俗主義(secularism)になってしまうことだと思います。
○Cardinal Cormac Murphy-O'Connor ウェストミンスター大司教(英国)
 世俗化によりキリスト者がゲットーになる危険がある。世俗化の誘惑は、世俗的な精神になってしまうことである。敵を知れ、敵は信仰を離れて生きることである。少し迫害があったほうがいい[これは暴言?]。
○Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア)
 少数派の問題。これは教会の無力さだ。sectarian wayだ。"Colloquium Salutis"(?)
○Anselme Titanma Sanon司教 バンフォラ司教(ブルキマ・ファッソ)
 Harvest of reflection --- evangelization of cultures
○Donal Brendan Murray司教 リメリック司教(アイルランド)
 一種のcounter-cultureを作ることが必要だ。
○Ms. Manuelita Núñes C.(パナマ) 21世紀の現状がよく分かった。大陸や性別の違いで問題も違う。しかしプラスのメッセージは魚がたくさんいるということである。福音化の障害になっているのが暴力の問題である。
○Mr. Léon Zeches
 多数派と少数派の問題。TIMEの特集で、教会がSunday Churchになっているという問題が指摘された。age groupでみると80代がいなくなった。教会には構造的な弱さがあった。多くの宣教師を出したが代わりがいない。
○議長
 結論
 
18.00:  Vespers(夕の祈り)
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12.記念ミサ(2008年3月8日8時〜)
 
08.00:  Concelebrated Mass in the Church of Santa Maria in Traspontina presided over by His Excellency Rt. Rev. Gianfranco Ravasi, Homily by His Excellency Rt. Rev. Mgr Fabio Duque Jaramillo, O.F.M., Bishop of Armenia
 文化評議会のある建物の向かい(北側)にあるSanta Maria in Transpontina教会でのミサ。共同司式者の方が、会衆より遙かに多いというミサ。私は第1朗読のエレミア書を朗読(英語)。
 
08.45:  Breakfast at the Pontifical Council for Culture
 (といってもたいしたものは出なかった。前日のコーヒーブレークの時のほうが立派)
 
13.総括討論(2008年3月8日9時15分〜)
「2010年の総会に向けて」
Towards the Plenary 2010. Theme, Proposals
 Poupard議長の時は、このときまでに結論の文書が用意されていて、その朗読を聞いてシャンシャンという感じだったが、Ravasi議長は時間いっぱい自由に議論をさせた。
 
○ベルナルド・アルドゥーラ局長(Secretary: Rev. Bernard Ardura)から今後の活動予定。
 1) Catholic Cultural CentersのDirector Meetingがネバールで開かれる。
 2) 次の大陸の会はアフリカで、タンザニアで行われる。[その後のニュースによると、"Pastoral Prospects for the New Evangelisation in the Context of Globalisation and its Effects on African Cultures"のテーマで、7月23日から26日まで、タンザニアのBagamoyoで開かれた。]
 3) 11月にはアカデミーが3つの賞(芸術、神学、考古学)を出す。
Henri de Lubac賞を博士論文に出す。
4) 11月には諸宗教対話評議会とともにカイロで会議を行う。
5) 12月には、第12回Annual Film Festivalを行う。
6) 2009年3月には、グレゴリオ大学で、進化論に関してSTOQの会議を行う。
7) 同じく3月にはSymposium on Education
8) 10月には、San Jose (Costa Rica)で、中央アメリカの大会を行う。
9) Center Directoreの会はメキシコで。
 
○Prof. Alfredo García Quesada
 次の総会のテーマとして提案したい。香港でヨハネ・パウロ2世が講話し、すべての文化・真理の基盤・源はinter-culturalityだと述べた。また2010年はFides et Ratioの10周年である。
○Joseph Doré 司教 ストラスブール名誉大司教(フランス)
 二つの提案がある。総会で、ドイツ語が聞こえない(カスパー師はいるが)。またUSA/Canadaの声も聞こえない。もう一つは、神学生の声も聞きたい。
○Willisam Benedict Friend司教 シュレヴポート名誉司教(アメリカ)
 digital ageに入ったこと、business of businessが出てきたことが大きな変化だ。中国の経済革命も。
○Fr. John Mansford Prior, S.V.D.
 Key issue in Catholic identityが大きく変わってきた。100年前はドイツが最大で次がスペイン語だった。今は、カトリックの2/3は南半球にいる。旧約聖書やヘブライ文化はグレコ・ラテン文化の中にいたが、今や2/3は南半球にいる。ヨーロッパではない。これは、翻訳の問題なのか、もっと本質的なのか。顧問(consultors)の半分は女性であってもよい。アジア・アフリカからもっとメンバが出るべき。
○Bruno Forte司教 キエティ・ヴァスト司教(イタリア)
 今は"Glocal"の時代だ。40年前のinculturationと今日のinculturationとは違う。評議会の構成も、ドイツ人がいず(Kasperはいるが)、北アメリカが少ない。イスラムの国も。多くの国の参加に意味があるのではないか。非信仰者も招いたらどうか。
○Donal Brendan Murray司教 リメリック司教(アイルランド)
 司教は忙しい。文化的役割に時間は割けない。
○Cardinal Cláudio Hummes 聖職者省長官
 新しい文化のプラスの起用は何か。真理について問うことを拒否する文化のなかで、どうしたらよいか。
○Cardinal José da Cruz Policarpo リスボン総大司教(ポルトガル)
 会長が変わった。私は、非信仰者評議会以来のメンバーだ。グローバリゼーションとか世俗化とかは、西洋の現象だ。教会はユニバーサルなはずだ。バチカンの文化で議論しているところが問題だ。総会のトピックはグローバル、つまりすべての大陸の問題、現実でなければならない。人類の未来の問題だ。
○Anselme Titanma Sanon司教 バンフォラ司教(ブルキマ・ファッソ)
 まだ未熟だが、私のところではキリスト者は少数である。
○Ms. Manuelita Núñes C. (パナマ)
 女性の存在は重要。女性の問題を取り上げるべき。
○Mark Benedict Coleridge司教 キャンベラ・グルバーン大司教(オーストラリア
 文化評議会といっても「それ何」と言われてしまう。私は、Vatican Think Tank だと思う。もしそれが正しければすべての省庁が関係している。
○Mons. Carlog Manuel de Cespedes(キューバ)
 パウロ6世やカール・ラーナーは出会いということを大事にした。どんなトピックでも偉大な出会いである。
○Mons. Peter D. Fleetwood (イギリス)
 3つのトピックがある。
 1) 聖地(会合を計画したのだが)
 2) 非信仰者
 3) 子供
○Toruño(事務局?)
 教会は人々に、自分を何と思うか、と問う。文化とは何か。彼等が我々をどう見るか。
○?
 次のSTOQ(2009)は、ダーウィン生誕200周年、「種の起源」出版150周年、ガリレイ400年にあたる。3月にグレゴリオ大学で大きな会議を行う。神学生の教育にも科学が重要。Scientific literacyが問題。
○Fr. Theodore Mascarenhas(事務局、アジア担当)
 アジアの視点から、仏教、イスラム、ヒンドゥーとの対話、inculturationが重要なもんだいである。グローバリゼーションはinter-culturalityである。
○議長
 あと10分しかないが、3つのコメント。
 1) 現象論的反省:世界には6500の言語があり、721の音素がある。世俗化の次は脱世俗化(post-secularisation)が来る。しかし、イスラムなどでは原理主義が起こっている。多くの異なる世俗主義がある。
 2) 世俗化の神学的視点:聖書的には、中世の神学ではtheophanyへの信頼と、黙示録であった。non-rational rationality
 3) Pastoral Note:究極のトピックはケリュグマである。健全な世俗か。counter-culture。現代も多くの問題を感じ恵居る。今後もダイナミックに動く必要。
 
14.教皇謁見
 12時15分から教皇謁見があった。聖職者たちは正装し、我々信徒もスーツを着込み、バチカン宮殿に向かった。さんざん待たされた後、大きな部屋に通された。ヨハネ・パウロ2世の時は、車いすで現れたが、現教皇は扉からスタスタあるいて入ってこられた。教皇がお元気なのはホッとさせられます。
 まず、Ravasi議長が教皇に評議会の報告をイタリア語で行った。Poupard議長のときはフランス語であった。これに対し、教皇が長い挨拶を述べられた。イタリア語なのでほとんど分からなかったが、VISによると大略以下の通り。
 
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 今日は従来にもまして、諸文化の相互のオープンネスは正しいヒューマニズムを求める対話にとって重要な場となっております。
 
 世俗化は日常生活のあらゆる局面を侵略し、神が実質上居ないというメンタリティーを植え着けます。これは単に信者にとって外的な脅威であるだけでなく教会それ自体の核心にも見られるものなのです。
 
 信仰者は、神を実質的に否定するモデルに浸されています。従って、神は不要であり、神について考えることも不要であり、神に帰る必要もないと考えるようになります。更に、今日支配的な快楽主義的また消費主義的なメンタリティにより、司牧者も信徒も、教会生活をだめにする表面性や自己中心性にシフトしています。
 
 そのため精神的な減退に陥る危険があり、それを防ぐには存在の高い価値を再確認する必要があります。それは人生に意味を与え、幸福を求める人間の心の不安を満たすことができます。その中には、人格の尊厳と自由、全人類の平等性、生と死の感覚、地上の存在が終わるときに我々に何が待っているかについての感覚も含まれています。
 
 "esti Deus non daretur"(あたかも神など存在しないかのように)という考え方が人生の道となっています。それは理性の一種の傲慢から来ています。理性は神によって作られ、神によって愛されています。しかし今や理性はそれ自身で充足しており、彼方にある真理を観相し追求することに対し閉じてしまっています。
 
 教皇庁文化評議会は、科学と信仰との実り豊かな対話を、それぞれの領域と方法論を尊重しつつ推進し、人類の全体的な発展と成長のために奉仕しなければなりません。
 なかんずく、神の群れの牧者たちが、諸文化の対話と出会いの領域において、福音の宣言と証しの領域において、たゆみなく使命を果たすよう強く進めます。世俗化という困った現象は、人間を弱くし、全的な真理への生来のあこがれを隠しています。
 
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 このあと、高位聖職者から順番に教皇の前に進んで挨拶した。時間はほとんどないので、「日本からのコンピュータ科学の教授です」とだけ申し上げた。自分の書いた本を献呈している人もいたが、お付きの人が受け取っていた。教皇庁付きの写真屋が写真を取ってくれた。
 その後、教皇を中心に全員の写真を撮った。
 
15.Poupard枢機卿との昼食
 前会長のPoupard枢機卿が皆を昼食に招いているというので、教皇謁見のあとそのままバチカン内にあるSanta Marthaの食堂に向かった。Poupard枢機卿はお元気で、一人一人と抱擁をして迎えられた。噂では、Poupard財団を設立したそうである。
 ゆっくり昼食をとり、若干酔っぱらってホテルに戻った。明日の朝は早いので、Maria Banbinaをチェックアウトし、いつも昼食を取っていたDomus Romana Sacerdotalisに移った。
 夕食は、事務局のFr. Theodore Mascarenhas(ザビエル会)がバチカンの裏のインド料理店に招待してくださった。常連らしく、インド人の店主とも懇意で、いろいろサービスしてもらった。
 9日(日)は朝5時に頼んでおいたタクシーで空港に向かった。
 
16.総括
 私としては世俗化のとらえ方に不満が残った。始めに述べたように、世俗化(secularisation)と世俗主義(secularism)を区別する必要がある。世俗化は、政教分離などのように近代化の必然的な動きである。問題はsecularism(世俗主義)で、これは世俗の次元しかないという反キリスト教的な傾向である。「あたかも神が存在しないかのように」という考え方が非難されたが、バチカン公会議の世界憲章にあるように、「世俗の正当な自治(自律)」は重要で、科学研究の中身では神様は出てこない。昔、北森嘉蔵氏(東京神学大学)はこれを「方法論的無神論」と名付けた(元はマックス・ウェーバーか?)。問題は、世俗化が容易に世俗主義に変化するということである。
 ところが、この会議では世俗化も世俗主義もごったまぜに議論された感じがある。教会に人が来ない、召命が減った、キリスト教的倫理が無視される、それは全部「世俗化」が悪い、という論調である。修道者が私服になり、司祭がローマンカラーを付けないのが世俗化だ、といわれてもちょっと違うな、という感じがする。冒頭に述べたように、Instrumentum Laborisでは世俗化と世俗主義の区別が論じられていたが、どこかに吹っ飛んでしまった。高位聖職者のぼやき節では問題は解決しない。
 帰国後、カトリック新聞の取材を受け、2008年3月30日号に掲載された。分かりよくまとめてくださったので、最後にその一部を紹介する。
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 日本からは、一九九八年から顧問を務める小柳義夫さん(工学院大学
教授/千葉・豊四季教会)が参加。今回の全体的な論調としては、世俗
化が進み、教会に信者が来なくなる事態を憂慮する、というものだった。
 「討議要綱では、『宗教と社会や科学との分離(世俗化)は近代の自
然な現象だが、それが宗教はなくてもいいんだ(世俗主義)ということ
にすぐ結びつくのが問題』と世俗化と世俗主義を区別しているのです
が、世俗化批判に向かいがち。『日本のようなキリスト教が少数派の国
では、戦前、神道が事実上国教で、全国民が神社参拝を強制させられた
時代から、世俗化のおかげで宗教の自由が確立することはむしろ歓迎す
べきこと』と発言しました」
 特にアイルランドやポーランドで、世俗化による教会空洞化の危機が
叫ばれた。「教会が空っぽになるのは確かに世俗化の影響だけれど、従
来の伝統的社会に安住していた方がむしろ問題で、そういう中で教会が
どういうメッセージを発していけるのかが課題でしょう。世俗化に対し
もう少し分析しなければならないと思いました」
 長年同評議会に関わる小柳さんは、そこでの自身の役割を“アジアの
特殊性”と“科学と宗教の問題”と考えている。「評議会はどうしても
ローマ中心の見方になります。それをいかにくずすか。そういう関心を
もつ顧問の方もいます」
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